片翼の天使と約束したことを、ラストは考えていなかった。どちらにせよ、俺は消えてしまう。記憶あれど触れられないのならば、肉体あれど記憶が無いのならば、それは最早俺ではない。

ラストはそんなことを考えながら霧を抜けた。そして広がるのは島とそう変わらない森の光景。
そんな中に入ったゲーリッヒは違和感を覚えたように尻尾を振る幅が徐々に狭くなっていく。彼もどうやら気づいたようだった。
「森にポケモンが住んでいる気配がないだろう？」
ラストの静かな問いに、ゲーリッヒが静かに頷いた。
「この森は、放棄されたんだ。過去の話は……さっきしたよな？」
ニンゲンによって荒らされた森に野生のポケモンが居付く事はしない。ニンゲンと違い、ポケモンは過去にされた記憶を忘れはしないのだ。
すなわち、その森に来たニンゲンを酷く嫌い姿を見ないためにこの森から姿を消したのだ。
今やその森に造られた研究施設も、クロ達の手によって破壊されニンゲンも住んでは居ない。
そんな森を故郷とし、この森の復興を期待していたのだろう。短く言葉を紡ぐ彼のの横顔が酷く悲しげなものだった。
ゲーリッヒは言葉を紡ぐことが出来ず、黙ってラストの後を追って歩く。
数分程無言の沈黙が続いた。
やがて、人工的な建物が見えてきた。丸みを帯びたスタイルのそれは自然が生み出したものではないだろう事は一目でわかる。
その建物は酷く歪み、破壊されていた。
３年前にこの場所でニンゲンとポケモンが争ったであろう痕跡は、自然の中では月日で洗い流されてしまっているが、確かに存在した。
ポケモンの悲鳴と泣き声が時を越えてゲーリッヒの鼓膜を叩く。目に浮かぶその光景を振り払おうと、彼は小さく首を左右に振った。
「……大丈夫か？」
ラストは振り返り、その姿を気遣った言葉を投げかける。
その言葉に頷いたゲーリッヒはゆっくりと瞳を開けた。
此方を見遣るラストはその光景の中に居る。
彼は恐らく真っ先にニンゲンの元へと飛び出したに違いない。責任感があり、弟を持つ彼に迷いは無く、守るべきものの為に鬼にでも夜叉にでもなっただろう。
それが、ラストというバクフーンのような気がしたのだ。
「さて、着いたぜ」
気づけば大分歩いたらしい。気づけば崖下にある洞窟の近くで、ラストが何かを見下ろしている。










彼の背中の横からそれを覗いた。
息を飲んだ。
其処にあったのは、１つの墓石。
Requiescat in Pace――何処かの言葉で「安らかに眠れ」という意味の言葉が刻まれている。
その筆跡は見覚えがあった。彼の……スプリットの手書きの楽譜のものと酷く似ていた。
だとすれば、この墓はラストを含めたこの森で亡くなった全てのポケモンに対してのもの……？
「供えてる花と水が真新しいんだ。　……スプは恐らく数日おきに此処へ通っている筈」
ラストが腰を落として、供えられている名の判らない花を撫でた。
「……アイツは、俺が死んだという事をまだ信じ切れていないんだ」
「え？」
「俺は、アイツの目の前で死んだわけじゃないからな……ただ単に、また会えると考えてるんだよ」
死んだものは生き返らない。そんな当然の事でも、あまりに突然やってきた死をスプリットは未だに受け入れることが出来ていないという。
３年という月日が流れた、今でも。
「その証拠がこれだ」
ラストが墓石の一角を示した。
其処に小さく刻まれていた言葉は『また会おうね』と。
そう、それは約束なのだ。スプリットが一方的にラストに向けて贈った、約束の言葉。
幼いスプリットの最後の願いを込めた言葉なのだろう。

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